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靴ひもを結び直すためにには、立ち止まることが必要です。
そこで立ち止まることは、新しい一歩を出すため。

ボクの大好きな友人が、新しい一歩を踏み出す決心をしました。

とてもつらい時期もあったと思います。
でも、新しい歩みを、続けて応援します。

神様の祝福が、新しい一歩にともにありますように。

私は人を信頼しません(人に寄りかかりません)、が、人を愛します。

私は学校や教会を信頼しません、が、学校や教会を愛します。


私は神様を信頼します、そして、神様を愛します。


https://twitter.com/sakamoto_gospel



「授業中に私語は禁止です。発言はいいけど」って言うでしょ。
でも、私語と発言の違いを明確にしている人は、意外と少ないのです。

ボクの授業では、私語と発言は明確にわけられます。
発言→先生に向かって話すこと
私語→先生以外(友達同士など)に向かって話すこと

私語と発言は、その内容での違いではありません。
だれに向けているかの違いなのです。
そこが大切!

信仰生活も、礼拝も、同じことがいえます。
だれに向けているかが、とってもとっても大切なんです。

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ドブに落ちても根のある奴は
いつかは蓮(はちす)の花と咲く

「男はつらいよ」の歌詞です。

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あなたが、どんな泥沼にあっても、どんなドブの底にあっても、根があれば大丈夫。
いつかはきれいな花が咲く!

もちろん、その根は何か、わかってますよね(^o^)

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骨髄バンクに登録しているボクに、適合通知が来ました。
お役に立てればと思って、書類を書いて、返信しました。
前回と書類が少し違うなぁと、思っていたところ、今日また骨髄バンクから封筒が届きました。

なんと、南米の長期滞在の経験のあるボクは、骨髄の提供ができなくなっていました。
書類が変わったのは、制度が変わったからでした。

献血も骨髄提供も、できないボクになりました。

ボクの血液や髄液は、ほかの人の役に立たなくなりました
でも、イエスさまの血潮は、すべての人に赦しを与えます
すべての人に愛を与えます。

このことをお伝えするために、ボクは生かされていこうと、あらためて実感しているのです!

あなたの謙遜が、あなたを救いますか?
あなたの敬虔が、あなたを救いますか?
あなたの知識が、あなたを救いますか?
あなたの善行が、あなたを救いますか?
あなたの従順が、あなたを救いますか?
あなたの努力が、あなたを救いますか?

いいえ、それでは救われません。

イエスさまの十字架以外に、救いはないのです!

待つのは得意なボクですが、列に並ぶのはかなり苦手。
そんなボクが、行列のできるところに行く方法は、「一番に行くこと」
列の先頭は、「並ぶ」のではなく「待つ」なのです。

こんなボクが思うこと。

ボクらは、イエスさまを、待たせちゃうかもしれない。
でも、イエスさまを、列のうしろに並ばせちゃいけない。


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ある説教者(あえて匿名にしときます)から、こんなことを言われました。
「礼拝説教のネタが、なくなってきたんだよねぇ。くり返し同じネタじゃ、飽きられちゃうし、うけないし。」

「ボク2000ページくらいぎっちり書かれたネタ帳持ってるよ」と答えると、「すごいなぁ!」と、驚かれました。

みなさんも、ボクと同じネタ帳、持ってますよね(^^)

8日(金)、通学途中の電車に、傘を置き忘れてしまいました。
お気に入りの傘だったので、帰り道に駅に落し物の届け出をしました。
聞き取りをされて、書類を書いて、見つかったら連絡が来るようにしてもらいました。

帰宅後しばらくして電話があり、「傘が見つかったので、山形駅に取りに来てください」とのこと。
「連休明けの12日に行きます」と告げると、「保管期限は11日で、その後は警察署に移動します」との返事。

お気に入りの傘、警察に行く前に受け取ろうと思い、10日(日)に山形まで電車に乗って行きました。
日曜日ということで、家族みんなで行ったので、駅周辺で遊びました。
運賃やら昼食代やらで、新品の同じ傘が買えるほどの費用がかかりました。

それでも、ボクにとって、この傘を取り戻すことがダイジだったのです。

神様とボクたちの関係も同じです。

あなたは神様のお気に入り。
愛して愛してやまない、神様の宝物です。
しかし、あなたの罪が、あなたを神様のもとから引き離します。

神様は、あなたを取り戻すために、大きな犠牲を払いました。

それが、イエスさまの十字架なのです。
神様は、そうまでして、あなたを取り戻したかったのです。

愛する神様の腕の中で、今日も輝いて生きましょう。

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昨日(日曜日)、新潟市の水族館に家族で行きました。

その帰り道、雨が降っていたのですが、ちょっと海岸で遊んでみました。
山の中の盆地に住んでいるわが家の子どもたちは、海に行く機会が少ないからです。

5歳のほまれは、以前に海を見たときはまだ3歳。
その時の記憶もありません。

海を見て、何か考えたらしく、妻に聞きました。
「ママァ、これ、どこからどこまでが海なの?」
「ずーっと全部よ」
「えぇっ!そんなに広いの!?わかんなかったぁ!」

絵本やテレビでしか見たことのなかった海、その本当の大きさを知って、ほまれは驚いたのです。
海が、絵本サイズやテレビサイズに押し込まれていたので、勝手に境界や限界をつくていたのですね。

イエスさまの愛も同じ。

勝手に境界や限界を作っていませんか?
イエスさまの愛を、教理や聖書研究に閉じ込めていませんか?
無限の愛・無条件の愛があなたに注がれています。

本物の愛に出会ったら、びっくりしますよぉ。

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父から送られてきた百科事典は全10巻。

第1巻の発行日は、明治41年(1908年)11月22日。
奇しくも、11月22日はボクの誕生日なので、なんかちょっとうれしい。

そして、一番最初の見出し語は、「あ」
100年以上前の百科事典の言葉が、執筆者の言葉が、ボクの目に飛び込んできました。

でも、この事典には、1908年以降の100年間のことは何も書いてありません。
1908年に発行されたのですから、当たり前のことです。


聖書は、もっと古くに書かれました。
でも、全く古くならないことがあります。

それは、「神様はあなたを愛している」こと。

古くならない、朽ちない、色あせない、本当の愛に生かされましょう。

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ちなみに、伴淳三郎さんも1908年生まれ

百科事典を、2セット貰いました。
ひとつは、父から。
もうひとつは、セボちゃんから。

それで、百科事典のために、本棚のリストラが行われました。
いまや、わが家の本棚は、かなりきちんと百科事典しています。

百科事典には、たくさんのことが、書いてあります。
色々なことが、様々なことが、書いてあります
なにしろ、「百科」というくらいですから。


ときどき、聖書を百科事典と勘違いしているふしがある人がいます。

聖書には、たくさんのことが書いてあるわけではありません。
色々なことや様々なことが書いてあるわけでもありません。

極端に言えば、聖書にはひとつのことしか、書いてないのです。

それは、「神様の愛」
その愛の具体的な表れとしての、イエスさま。

聖書は「百科事典」ではなく、「一科事典」なのです。

「一科事典」の愛が、あなたに注がれています!

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「のほー」が、やたら多くて気になることがあります。

たとえば、会議の始まり。
「定刻ですので、会議を始めます。まず、会長から挨拶を差し上げます。」
これに「のほー」が入ると、こうなります。
「定刻ですので、会議のほーを始めます。まず、会長のほーから挨拶のほーを差し上げます。」

たぶん、「のほー」は「の方」ということなのでしょうが、多用する人が結構いるのです。
スーパーや本屋さんのレジでも、仕事場でも、「のほー」が大流行です。

文法的に、解釈する気はありません。
ボクには、それほどの言語学的な知識ないですし。

ただ、「のほー」が気になるのです。
いったん気になりだすと、もう、気になっちゃって仕方ないのです。
話してる人が「のほー」を何回使うか、数えちゃうことも、しばしばです。

「のほー」・・・恐るべしです。


ボクのように「のほー」にとらわれるのはお勧めしませんが、お勧めしたい言葉があります。

それは、「私はあなたを愛している」
つまり、アイラブユー、I love you 、Eu te amo です。

これは、神様があなたに語り続けている言葉。
なのに、意外と忘れがち。
とっても、スルーしがち。

だから、気になっちゃってほしいのです。
神様からの「愛してる」に、とらわれちゃってほしいのです。

日々の中で、神様があなたに何回使うか、数えちゃってください。
そして、その愛に、しっかり愛されちゃってください。

「私はあなたを愛している」・・・あなたの人生を変える、驚くべき言葉です。

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今年の冬は、白鳥を見てないなぁ・・・
こんなつぶやきをしたのは、3週間前のこと。

通勤経路に白鳥の飛来地がなく、週末に雪降りが多かったので、平日も土日も白鳥を見に行けなかったのです。

それで今日、有休をとって、春休みでヒマになっている小学生2人(次男タリタ・三男ダヴィ)といっしょに、福島市の阿武隈川に行ってきました。
あぶくま親水公園のほとりの白鳥に、会いに行ったのです。

白鳥にあえて、なんだかとってもうれしくなりました。
自分の白鳥でもないんですけどね。


そこでふと思いました。

きっと、イエスさまはボクに会えたとき、この何百倍も、何億倍も、何兆倍も、うれしかったんだろうなぁ。って。
さまよい続けて、何十年も、イエスさまを待たせちゃった。

こんなボクを愛してくれるイエスさま。
ありがとう!

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先週の金曜日に、仕事で訪問したおじいさんは、91歳。
「耳が遠いから、大きな声でしゃべって」と言われたので、いっしょに行った女性職員が大きな声でしゃべりました。

すると、
「人に向かってそんな大声で話すなんて、失礼な人だ!」
「こっちさ来て、近くで話してけろ!」
とのこと。

プンプンしているおじいさんに、ボクが近寄って、ゆっくりはっきり話すと、
「うん、それでいいんだ。」「そう話せば、俺だって、気持ちよく払うんだ」とご機嫌です。

帰りの車の中で、「あのおじいさん、面白いね。ボクも、90歳になったら、あんなちょっと頑固なじいさんになろう」と言うと、こう言われました。
「坂本さんは、もっと頑固なおじいさんになるから大丈夫。もう十分頑固だし!!!」

自分では、自分の姿はよく見えないようです。


信仰者の生活も同じ。

自分では、自分の姿はうまく見えないことがあるようです。
それで、自分を責めちゃったり、高慢にのぼせ上がっちゃったり、自己嫌悪したり。

そんなときは、イエスさまの瞳に映る、あなたを見ましょう。

愛され、赦された罪人。
イエスさまが、いのちがけで取り戻した宝物。

それが、あなたです。

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算数や数学や理科が苦手にする人は多いようです。
「だって、わかんないもん」と言うことも、よく聞きます。
「社会は、覚えればいいだけだから、カンタン」と言う人もいます。

ボクは、長く算数や数学を教えていたので、断言します。
「あなたは、算数や数学ができる!もちろん理科だって!」

そのポイントは、「わかる言葉で」です。

数学や理科には、公理があります。
定理があります。
公式があります。
これらが使いこなせれば、数学や理科はぐっとわかるのです。

そして、その人にわかる言葉で伝えてあげれば、伝わるし、理解できるし、使えるのです。
その人の知っている言葉で、その人の知っている方向から、その人の受け取りやすい方法で、数学を伝えればいいのです。
最適な伝え方は、十人十色、千差万別、あなただけの方法があるのです。

数学、できたら楽しいですよ。
理科、好きだとうれしいですよ。


福音を伝えるのも同じ。

その人のわかる言葉で伝えることが、最も大切。

だから、伝道師のボクは、あの手この手で福音を伝えようとします。
「イエスさまは、あなたを愛しています!」

しかし、算数や数学のように、うまく伝えられないのが、現実です。

でも、落胆しません。
ボクがうまく伝えられなくても、イエスさま自身が、その人の最適な方法で伝えてくれるから。

生きて働く神様に、ハレルヤ!

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ボクの愛車、先日100000キロ突破した愛車が、車検を受けました。
TOYOTAカローラ店で車検を受けたので、支払いはTOYOTA系列の「TS CUBICカード」
ポイントも入ってお得です。

ところが、異常事態発生。
2013年11月で、カードの有効期限が過ぎていたのです。
登録住所の変更をしていなかったためか、新しいカードが届いていなかったのでした。

あわててカードの会社に電話をかけ、住所変更と再発行のお願いをしました。
20日には、速達で発送されるそうです。

とりあえず、車検の支払いをちょっと待ってもらうように、お願いしなくっちゃです。


クレジットカードには、有効期限があります。
期限が来るたびに、更新しなくてはなりません。

しかし、イエスさまの十字架の贖いには、有効期限はありません。
あなたが何者で、あなたが何をしていても、あなたの過去がどうであっても、関係ありません。
あなたを赦し、あなたを愛する、無期限の契約なのです。

この契約の中に、生かされましょう!

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待つのは得意なボクですが、列に並ぶのはかなり苦手。
かといって、人の迷惑を顧みずに割り込みをするわけではありません。

子どもたちもよく知っていて、「パパは行列嫌いなんだよね」と、あきらめています。

待つのは得意。
並ぶのは苦手。
そんなボクが、行列のできるところに行く方法は、「一番に行くこと」
列の先頭は、「並ぶ」のではなく「待つ」なのです。

今日は、リナワールドの今シーズンの開園日。
雪ふる中を、開園1時間半前に到着。
もちろん、一番乗りです。


こんなボクが思うこと。

ボクらは、イエスさまを、待たせちゃうかもしれない。
でも、イエスさまを、列のうしろに並ばせちゃいけない。

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末っ子長女ほまれは、4歳の年少さん。
ひらがながおよそ読めるようになったので、とっても自慢げ。

今日も、お風呂に貼ってある子ども用の日本地図をうれしそうに読みます。
濁点はまだ理解できませんが、清音はほぼカンペキです。

「ふくしま」
「くまもと」
「みえ」
「あおもり」

かなり順調に読めています。

が、
「あいちょ」
「こうちょ」

なぜか「ち」が「ちょ」になるのです。

「まあ、ほとんど読めてるし、いいか」と思っていたのですが、好奇心から「なんでこれは『ちょ』なの?」と聞いてみました。

ほまれは答えました。
「だってぇ、幼稚園の積み木で『ちょうちょ』の絵が描いてあるから」

ほまれは、ちょっと勘違いをしていただけでした。
「これは『ち』だよ」と教えると、「うん」とうなずいて、「あいち、こうち」と、うれしそうです。


私たちも、勘違いすることがあります。
不完全な私たちですから、当然です。

神様についての勘違いや、聖書についての勘違いも、もちろん起こります。
それは、偉い聖書学者や、有名な牧師でも、研究熱心な神父でも同じ。
それで、論争になったり、反目しあったり。

本当のことは、イエスさまに聞いたら分かります。

そして、イエスさまに勘違いを指摘されたら・・・・
そんなときは、ほまれのように「うん」と、うなずけるようになりたいものです。

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イエスさまは、あなたの罪を背負って、十字架につきました。
これは正解。

イエスさまは、あなたの罪を贖いました。
これも正解。

イエスさまは、あなたの救い主です。
もちろん、正解。

イエスさまは、神の小羊です。
イエスさまは、いのちのパンです。
イエスさまは、世の光です。
イエスさまは、道です、真理です、いのちです。
イエスさまは、よい羊飼いです。
イエスさまは、神様のひとり子です。
ぜんぶ、正解。


でも、いちばん、あなたに覚えて欲しいこと。

イエスさまは、あなたを愛しています。

正解も、これがなきゃ、足りないんです。

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毎朝の通勤で走るバイパスは、終点でT字路になって、ボクは左折して仕事場に向かいます。
直進しようとしても、ガードレールがあるので無理です。

しかし、そのガードレールの向こう側には、バイパスの続きの工事がなされていて、完成間近です。
完成したら、開通したら、T字路が解消したら、今よりずっと通勤が楽しくなります。
そう思うと、行き止まりのT字路は、もう、行き止まりではないのです。


人生にも、行き止まりで先が見えないことが、しばしば起こります。

それで、不本意ながら迂回したり、壁にあたって苦しんだり。

でも、その行き止まりのT字路の先には、完成間近の道路があるのかも。
ただ、今は見えないだけ。

T字路の先、イエスさまといっしょに、楽しく歩いてみませんか?

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正しくは、T字路ではなく、丁字路らしい・・・・

ボクは、待つのは全く苦にならないのですが、だれかを待たせるのは気後れします。

だから、集合時刻に遅れるなんてことは、めったにありません。
それどころか、約束の時刻の1時間以上前に行くこともしばしばです。

ブラジルにいたときのこと。
ボクと同じように、人を待たすのが苦手なカンタロウさんと待ち合わせをすると、約束よりも1時間以上前に2人が揃ってしまいます。
それで、外で待ち合わせするのをやめて、いつもわが家が集合場所になりました。
これなら、待つも待たされるもないわけです。


こんなボクですが、やたら長い時間、待たせちゃったことがあります。

待たせちゃった相手は、イエスさま。

イエスさまは、ボクが生まれる前から、ボクのことを愛していてくれました。
なのに、その愛にこたえることなく、ふらふらと自分勝手に生きてきました。
(今でも十分、勝手に生きてるでしょ。と妻には言われますが・・・)

そんなボクを、あきらめずに愛し続けてくれたイエスさま。
見捨てずに、見放さずに、いつもいっしょにいてくれたイエスさま。

これからも、ときどき待たせちゃうかもしれないけど、あなたを愛します!

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ボクが、工場で働いていた頃のこと。
その工場は、住友金属の系列の会社で、ボクは、総務課でした。

ある日のこと、総務課においてあるFAXから、見たこともない設計図(?)が出てきました。
読んでみると、ロケットの部品の設計図のようです。
「重要」「取り扱い注意」と印もついています。

なんだろう?・・・と思ってよく見ると、それは他の会社宛のFAXでした。
住友金属のからのFAXだったので、きっと、FAXの短縮ボタンを押し間違えたのでしょう。

送付元に電話で確認すると、「すみません。間違えました。破棄してください。」とのこと。
「FAX送り返しましょうか?」と、軽く冗談を言ってみたのですが、電話口の相手はつっこんでくれませんでした。
きっと、余裕がなかったんでしょうね。


人生も、FAXと同じところがあります。

一度送ってしまったら、後戻りできません。
失敗しちゃっても、間違えちゃっても、一度きり。

そして、やたら失敗の多い人生を作ってきちゃったボクがいます。

でも、そんな失敗だらけのボクを、愛して赦してくれるイエスさまが、いつも一緒。
だから、こんなボクでも、今日も生きていこう!って思えるのです。
ハレルヤ!

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本日午後、子どもたちと一緒に「ひょっこりひょうたん島」の人形劇を見に行きました。
子どもたちのためのイベントなので、人形の説明や、ひょっこりひょうたん島のアウトラインなど、とても分かりやすく、楽しい催しでした。
しかも、無料なので、いうことなしです。

その公演には、NHKの番組(リメイク版・1991年)で実際に使った人形が使われていて、人形操演もそのときのひとみ座です。
なので、本物のひょっこりひょうたん島なのです。

一番驚いたことは、木でできた人形の音です。

コツッ、コンッ!コツッ、コツッ、コンッ!
テレビでは聞くことのできなかった、木と木の触れ合う音。
本物の音。

本物に出会った証しを、しっかりと感じました。


イエスさまとの出会いも同じ。

だれかの説教や、どこかの本や、注解書などを通してではなく、本物のイエスさまと出会いましょう。
だれかの説教に、感動することもあるかもしれません。
どこかの信仰書に、イエスさまを見つけた気になるかもしれません。
注解書の中に、イエスさまの姿があるように思うかもしれません。

でも、イエスさまとの本物の出会いは、本物の音がします。
本物の、証しがあるのです。

あなたと、イエスさまの、本物の出会いのために、お祈りいたします。

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あるビルでトイレに行くと、「清掃中」の札がかかっていました。

ボクの前にいた人(知らない人でしたが)が、その札を見て「最低!」と言って歩き去りました。
ボクは、「別の階に行けばいいや」と思い、階段を昇りました。

用を足したあとに、ふと思いました。
トイレに行って最低な状態はなんだろうか?

・ドアを開けたら、放し飼いの猛獣がいた。
・ドアが、ごうごうと音を立てて燃えていた。
・ドアの前に、銃を乱射している人がいた。

確かに、これらのことが起こっていたら、大騒ぎですね。
それに比べたら、「清掃中」なんて、最低ではないでしょう。
ワンフロア移動したら、それでいいんですから。
むしろ、きれいにしてくれてありがとう、ってところです。


信仰者の生活も、最低!と言いたくなることがあるかもしれません。

しかし、最低!と言ってしまう前に、解決を探してみましょう。
解決を探るのは、結構楽しい作業です。
その習慣だけで、あなたの心は、かなりゆとりを得られます。

そして、本当に最低の状態になったら、・・・・・どうしましょう。

そのときこそ、イエスさまの出番です。
イエスさまとの二人三脚を、楽しみましょう!

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ガリガリ君やホームランバーは、時々あたりが出ます。
時々しか出ないので、つまりは、はずれのときが多いのです。

わが家の子どもたちは、はずれたときにも、めげません。
なぜなら、もうひとつの楽しみ方があるからです。

それは、「自分であたりにしちゃう」です。

先日食べたホームランバー。
だれもあたらなかったので、マッキー登場。

メガホームランができあがりました。
いったいどんなあたりなのでしょう?
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さて、信仰者の人生にも、いいこと・悪いこと、成功・失敗、うれしいこと・悲しいこと、様々です。
そのたびに、落ち込んだり、へこんだり、忙しいですね。

しかし、イエスさまの十字架によって、あなたの人生は「あたり」です。

だって、イエスさまはあなたを愛して、決して離れないんですから。
人間関係や仕事で失敗することも、健康を害することも、迫害されることもあります。

でも、あなたがどんなときも、あなたがどんな人でも、見捨てられることはないのです。
あなたの人生は、神様のひとり子が、いのちを捧げてまで成就した、「大あたり」なのです。
まさに、メガホームラン!


わが家の電子レンジが、故障しました。
ブラジルから帰ってきてすぐの2008年に買った電子レンジが、壊れたのではなく、故障したのです。

ある日、電子レンジを使おうとドアを開けると、ランプが光ってターンテーブルが回り始めました。
つまり、加熱状態です。
ドアが開いているので、電磁波の大放出です。

何度やっても、再起動しても、状況が変わらないので、メーカーに電話で問い合わせました。
すると、「それは故障です。が、部品の保有期間(6年だそうです)が過ぎたので、部品がなく直せません。」とのこと。
もちろん、無料修理の保障期間は過ぎています。

とりあえずは、ドアを開ける際にはコンセントを抜き、その後コンセントをさして作動という応急処置しています。
仕方ないので、新しいものを買おうと、色々なメーカーの製品を勉強中。


私たちも、ときどき故障します。

必要以上に落ち込んだり、はしゃぎすぎたり、だれかの言葉に傷ついたり、傷つけちゃったり。
信仰生活も、順風満帆なばかりではありません。

自分じゃどうしようもなくなったら、メーカーに問い合わせましょう。
創造主なる神様です。

あなたを愛する神様は、どんなに期間が過ぎたって、「直せません」では終わりません。
あなたを必ず、神様の子どもとして取り戻します。
イエスさまの十字架は、その保証書です。
無期限の、無制限の、愛の保証書なのです。

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ボクは、小学生の頃からサッカー部で、サッカー大好きです。
ひょんなことから、高校に入ってからヨット部になり、大学もヨット部でしたが、それでもサッカー大好き。

田園地帯(つまり田舎)に住んでいたボクは、「田んぼサッカー」にも夢中でした。
稲刈りの終わった田んぼで、ゴールの代わりに竹の棒を立てて、日が暮れるまでサッカーボールを追いかけていました。
そこには、サッカー小僧の喜びしかありませんでした。

学校の名誉のためとか、クラブの伝統を守るためとか、応援してくれる人たちの期待にこたえるためとか、サッカーボールを追いかけているときには感じたことはありません。

ヨットで世界選手権に出場したときも、何かを背負ってではなく、ヨットという競技を純粋に楽しんでいました。

だから、どんな競技であれ、オリンピックやワールドカップや世界選手権に出る人たちも、日本のためでなく、連盟や協会のためでなく、その競技を楽しんで欲しいと思うのです。


信仰生活も同じ。

イエスさまに愛され、赦され、生かされていることを、心から喜びましょう。

「神様のために何かしなくっちゃ」ではなく、しっかり愛を受けましょう。
教会や教団のためになんて、二の次、三の次、四の次、五の次です。

はじめの愛に、はじめの喜びに、はじめの感動に。

いつも新鮮な信仰で!

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問題をひとつ

一郎君と二郎君と三郎君が駅に行くのに、同じ場所から同時に出発しました。

一郎君はバイクで後ろに二郎君を乗せ、三郎君は駆け足で、同じ道を進みます。
一郎君のバイクの速さは、三郎君の駆け足の速さの5倍でした。
一郎君は駅で二郎君を降ろすと、そのまま同じ道をバイクで引き返し、走っていた三郎君を後ろに乗せ、再び駅に向かいました。
一郎君と三郎君を乗せたバイクが駅に着いたのは、二郎君が駅に着いてから10分後でした。

さて、三郎君が駅に着いたのは、3人が出発してから何分何秒後でしょう。

ただし、バイクの乗り降りや方向転換に時間がかからず、バイクも駆け足も一定の速度で走っていたとします。



この問題は、小学6年生で解くことのできる、算数の問題です。
20年以上前の、中学入試の問題をアレンジして作りました。
算数の手法で解くなら、特別な知識・技術がなくても解くことができるものです。

数学の方程式を使って解こうとすると、逆に解くのが大変になります。

簡単な手法が、複雑な難しい問題を解決するのです。


信仰生活も同じ。

難しい教理や高度な聖書理解は、逆に信仰生活を大変にすることが多々あります。
やって悪いとはいいませんが、必要不可欠なものではありません。

単純に、純粋に、イエスさまの十字架の愛を受けましょう。

そんな簡単なことが、あなたを複雑な問題から救うのです。
目いっぱい愛されているあなたを、生きましょう。

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末っ子長女ほまれ(年少さん)は、夜中に一人でトイレに行くのが怖いのです。
それで、夜中に目が覚めると、「パパァ、一緒にトイレ行ってください」とお願いに来ます。

昨夜のこと、部屋でパソコンに向かっていると、トトトトトトトと足音が近づいてきて、
「わたし、おトイレ行きたいので、いっしょにおねがいします」と、ほまれに言われました。

ちょうど手元に、100円ショップの小さな懐中電灯があったので、
「じゃあ、これをつけて、一緒に行こうか」と、ほまれに懐中電灯を渡しました。

自分の手で懐中電灯を持ったのがよほど嬉しかったのか、ほまれはこう言いました。
「次から、自分で電気持って行く!」

この夜、トトトトトト・・・・という音は、4回も5回も聞こえました。
ほまれは、ひとりで懐中電灯を持って、今まで苦手だった夜の廊下を歩んでいたのです。
その足音は、喜びに弾んでいました。
もう、怖くありません。

だって、ライトの灯りが一緒だから。


あなたにも、苦手なことや、闇にしか思えないことがあるかもしれません。
いえ、きっと、だれにだってあるでしょう。

でも、灯りと一緒なら、その道も喜んで歩めるはずです。

あなたには、その灯りが、すでに与えられています。
もう、怖くありません。

だって、愛の光が一緒だから。

あなたの喜びの足音を、響かせましょう!

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坂本 秀雄 (伝道師)

Author:坂本 秀雄 (伝道師)

ゴスペルハウスは、超教派のキリスト教伝道所です。
神様の愛で建てられ、神様の愛を伝えています。

2008年にブラジル・サンパウロから帰国した家族が、山形県の川西町に移住して楽しくゴスペルハウスな生活をしています。
そして今度は隣町の高畠へ引っ越しました。
どなたでもお気軽にお越しください。

ゴスペルハウスには、あなたのための席が用意されています。

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お気軽にお越しください。
山形県東置賜郡高畠町
安久津1070

電車でお越しの方は、高畠駅までお迎えします。

賛美・御言葉・聖餐を中心とした、明るい雰囲気の礼拝です。
はっきり言って、楽しいです。

同時間帯で、「子ども礼拝」も行なっています。
大人も子どもも、クリスチャンもそうでない方も、ぜひご一緒に集いましょう。

集会の後には、ご一緒に夕食を頂きます。
伝道師みずから、腕をふるって料理します。
おいしいですよ。(もちろん無料)